いつも当店のブログをお読みいただいてありがとうございます!
今日はちょっと今までとは趣向を変えたブログを書きたいと思います
以前紹介した参加させて頂いている「サロカリ」で同じ題材についてみんなでブログを書くことになり、その第1弾になります
サロカリって?方は↓です
そして,先日サロカリの山口晃さんに髪を切って貰ったブログも気合い入れて書いたので是非読んでみてください!!
そしてそのサロカリ連動ブログのお題は『社会人1年目の衝撃ストーリー』になります
社会人1年目というと僕が初めて就職した時の話になりますが、とりあえず、そこに至った経緯から書きたいと思います
まず、社会人1年目は僕は大阪で始まったのですが、何故東京から大阪に勤めに行ったかというと、何点かあるのですがまずは
「親元を離れたかった」
そして、
「自分を追い込みたかった」です。
理容室の息子に生まれてある程度の業界の大変さも分かっていましたし、実家の近くで働いても、友達と遊んで練習をしなかったり、自立した生活をしたいと思い、専門学校で関西方面に行きたいと相談して、大阪のヘアサロンに就職させて頂きました。
そして、大阪修行時代の1年目やはり衝撃的だったのが仕事の事ではないのですが
『東京と関西の文化の違い』
でした。
エスカレーターも東京では左側に立って、歩く方は右をあるきますが、大阪では全くの反対になりましたね。
ネットでの拾い画像ですが、こんな感じですね。
今でも年に1度大阪に行ったりしますが、行くたびに戸惑いますね。
あとはマクドナルドを「マック」ではなく「マクド」と言うのも有名ですがよくありますね(笑)
「マック行こう」と提案すると「マクドな」ってよく訂正されましたね。
食品関係も結構違いがあって、食パンの枚数も東京は6枚切りが主流だと思いますが、大阪では5枚切りが主流なんですね。
僕が大好きなパスコの超熟も5枚切りばっかりを買っていた気がします。
どん兵衛のカップラーメンも関東と関西では味が違うようでした
正直食べ比べしたことありますが、言われないとわからない位の感じだったと記憶しています(笑)
あと最も衝撃を受けたのは「関西弁」ですね。
当時は今ほど関西系の芸人さんが東京のテレビ番組に出てることも少なく、お笑いのショーレースも「M-1グランプリ」がまだ始まった位でしたし、「エンタの神様」などもまだ放映されてなかったので、僕自信関西弁になれていませんでした。
ある1年目の勤め始めた頃のエピソードなのですが、その時は同期入社が10人位がいて、サロンをローテーションで回り全員でアシスタント技術習得をしていました。
同期に18歳で入社してきた関西圏の子がいたのですが、僕はもちろん関西弁の知り合いは初めてで、逆に相手も標準語が初めてです。
標準語は語尾がよく「~じゃん」で終わることが多いと思いますが、関西弁は「~やん」で終わることが多いです。
そのことに対して同期の子に
「~じゃんて何なん?ばりきしょい!」
って言われた時の衝撃は未だに覚えています
関西弁怖いと心から思いました(笑)
その他にも先輩に
「このドライヤーなおしておいて!」
と言われて、「故障したんですか?」と聞くと元の場所に片づけておいて欲しいという意味であったり。
関西弁で「あほか!」と言われたら別に凹む必要はないけど関西で「馬鹿」というフレーズで怒られたら本当に怒られてると思えと教えてもらった気がします
その後13年いたので東京に帰ってきて2年たちましたが、僕もまだ関西訛りがぬけないのでもう人の事言えないですけどね。
仕事的なことに関しては、1つのグループ会社でしか働いたことがないので、その会社の中だけだったかもしれないですが、東京の専門学校では↓の様な折りたたみの剃刀を使っていましたが、
大阪のサロンでは↓のような通称「日本刀」スタイルの剃刀を使っている方が多かったです。
それに感化されて今でも僕は「日本刀」を使っていますが、最初は「日本刀」の存在を知ら無かったので結構驚きましたね。
カットの仕方も国家試験のカットも東京では下から切ることを推奨した切り方で指導をされるのですが、大阪では上から切るのを推奨していて、1年目のカットの練習をしている時に、スタイルを下から切っていたら指導して頂いている方に
「ああ、関東式ね」
と言われたのを覚えています。
まだまだ、1年目のエピソードは沢山ありますが、切りがないのでこの辺にしておきますね。
まとめると
東京と関西は文化は違って最初はとまどうけれど、とても素敵ないい地域で大阪で学べた13年間は自分にとってかけがえのない物になったということです
住めば都とはよく言ったものですね。
長文にお付き合い頂いてありがとうございました!
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